皆さんは自分の苗字をどう思いますか?
私は自分の苗字が嫌いで、早く結婚して違う苗字になりたいと思っていました。
もし自分の苗字を自由に選べるならこんな苗字がいいなと憧れたのは、漢字三文字とかのちょっと変わっていたり、珍しい苗字だったり。
『鬼龍院』『有栖川』『三千院』
『十二月三十一日(ひなし)』『四月一日(わたぬき)』
今思えば雅な響きとか、なかなか読むのが難しい苗字がお気に入りだったなぁと。
日本には優秀な戸籍制度がある
日本の戸籍制度は実に優秀で、最古の戸籍は飛鳥時代だそうな。
その頃は課税や兵役を課すための名簿的な役割だったようで、現在のそれとは目的が異なっていたようだ。
現在の戸籍制度の直接のルーツは明治時代に作られ、戦後に家族単位から『夫婦と未婚の子』単位へと改正がなされたが、明治以来の連続性は保たれているとのこと。
この日本の戸籍制度が優秀だと言われる理由は、①圧倒的な情報の連続性と②唯一無二の身分証明能力。
欧米諸国などの多くの国では出生・結婚・死亡を個別に記録する『登録制度』を採用しているが、これだと教会の記録や各種証明書をパズルのように組み合わせないと家系を完全に証明するのが難しい。それが日本では戸籍を遡れば自分の先祖がどこで生まれ誰と結婚していつ亡くなったかを、百年以上前まで一本の線で繋げることができる。これが①の圧倒的な情報の連続性だ。
そして②の唯一無二の身分証明書能力。これもすごい。一通の公的な紙(戸籍謄本)で『生まれてから現在までの全ての身分変動』が証明できるわけだ。
・相続手続き
・パスポートの発行
・婚姻資格の確認(重婚の防止)
どれも身分が曖昧では困るもの。
そういったものを戸籍謄本一通で確認できるのは、行政コストの削減はもちろん、手続きをする側の負担も大きく減らされていると思う。
仮に自分が相続人だったとしよう。「あなたは本当に相続人の資格があるの?」と、その証明を求められたとき、お寺で記録をもらい、各機関でそれぞれ証明書を発行してもらい、たくさんのパズルピースを集めなければならない手間を想像してみると、それだけで疲れてしまう。
それが戸籍謄本一通で「私は間違いなく相続人の資格がありますよ」と言えるのだ。これはもう優秀以外の何物でもないだろう。
夫婦が別姓にする理由
近年『選択的夫婦別姓』の導入を巡って議論されることが多くなってきた。
結論から言えば、私自身は選択的夫婦別姓には反対だ。
そもそもなぜそんな議論がされるようになったのか?
これはもう社会のあり方が変わったのに、人々の意識が変わっていないからだと思う。
私が子供の頃は圧倒的に専業主婦が多かったし、女性の結婚=相手の姓に変わると言う認識だった。
女性側の家では嫁に『出した』と言い、男性側の家では嫁に『貰った』と言うのだ。
良いか悪いかの話ではなく、この認識が普通だった。
しかしこの頃には既に女性の社会進出も多くなっていて、現実的な問題も出ていた。その一つが名前の問題。
結婚すればどちらの姓を選んでもよいはずなのに、世間は女性が姓を変えるものとして扱う。
確かに専業主婦になるなら、社会的認知を考慮して外で働く男性側の苗字にした方がメリットが大きいだろう。しかし外で働く女性にとっては、姓が変わるというのはデメリットになる。キャリアを積み重ね、責任ある立場になればなるほどそのデメリットは大きくなっただろう。
名前を変えるというのは、手続きだけでも大変だ。通帳・パスポート・クレジットカード・通販やサブスクの個人情報の変更まで、あらゆる分野で大変で、しかも万が一離婚した場合に旧姓に戻すとなると、そこでまた大変な思いをしなければならない。
だったら結婚してもそれぞれ元の苗字のままでいればいいじゃないか、というのがこの議論の根幹だろうと思う。
家族とアイデンティティ
前述したように、私は夫婦別姓には反対だ。
一番の理由は子供のこと。両親が別々の苗字でも、子供はどちらかの苗字を名乗ることになるだろう。
お父さんは田中、僕も田中、でもお母さんは鈴木…。
お父さんは田中、僕も田中、でもお母さんと妹は鈴木…。
こんな家族の構図を子供が小さいうちに理解できるだろうか?
幼稚園や小学校で、周りの友達はお父さんお母さん兄弟たちもみんな同じ苗字なのに、どうして自分のうちは違うんだろう? 苗字が違う親には愛されていないのだろうか? いずれ自分は苗字の違う親に捨てられてしまうんだろうか?
子供にこんな思いをさせたくはないし、ここまで極端なことを思わなくても、家族に対する違和感や、子供の感情面での健全な成長に何らかの悪影響を及ぼすという懸念を、私は捨てきれない。
現状、社会的に旧姓を使うことへの不便さは解消されつつある。
マイナンバーカードや通帳・運転免許証・パスポートなどに旧姓が併記されることで、公的な証明等になる。つまりは現在の姓の自分と旧姓の自分とが紐付けされることによって、同一の人物であることが証明されるので、様々な契約などがスムーズに行えるようになるわけだ。
まだシステム上の問題などもあって完全とは言い難いが、今後はソフト面での改善も進み旧姓を使うことのデメリットも少なくなっていくだろう。
こうしたデメリットが少なくなり、仕事や社会活動で旧姓を使うことに問題がなくなれば、夫婦が別姓である必要はないと思う。
以前この『選択的夫婦別姓』の問題を取り上げた番組を見たとき、旧姓をそのまま使用したい派の女性が「旧姓はアイデンティティだ」というような発言で、選択的夫婦別姓にすべきだとまくし立て…いや、激しくて主張していた。だったら相手に姓を変えてもらえばいいじゃないですかとの意見に、相手も自身のアイデンティティだから変えたくないとなればどうするんだ!と、鬼の形そ…すごい剣幕? で。
私個人の意見としては、そんなに旧姓がアイデンティティで絶対に譲れないのであれば、相手に変えてもらえばいいし、相手もアイデンティティだから譲れないというのであれば、それぞれ姓を変えていいという別の相手と結婚したほうがお互いのためだと思う。
どちらもアイデンティティだから譲れないけど、結婚するにあたってどちらかは妥協せざるを得ない。そんなことは嫌だから、法律のほうを変えろと言っているわけだ。
そこまで旧姓がアイデンティティだからとこだわる人は、どのくらいの人数存在しているのだろう?
仮にそこそこの人数いたとして、そのこだわる人同士が結婚に繋がる確率はどれほどのものか。
年齢も性別もバラバラなのだから『結婚』に繋がるカップルになる確率は、かなり低いだろう。
少数意見だからどうでもいいとは言わないが、ハード面ソフト面のデメリットに加え、子供の心の成長への悪影響や、これまでの長い長い年月で培われてきた日本人としてのそれこそ広い意味でのアイデンティティを大切にするということをふまえて、やっぱり私は選択的夫婦別姓の導入には反対だ。
最後に
いま現在、結婚による姓の変更で不利益を被ったり不便を感じたりすることがなくなったわけではない。しかし各種証明書への旧姓の併記などの政令改正により、確実にそれらは減ってきていると思う。
この先家族の在り方を壊すことなく、しかし不利益や不便さをなくしていく改革が進んでいくだろう。
今すぐに…は無理でも、少しずつ良い方向へと変わっていく。
長くかかって積み重ねてきたものでも、壊すのは一瞬。しかし一度壊してしまえば、もう元の姿には戻せないかもしれない。
難しい問題だからこそ、目先の利便性だけにとらわれず、慎重に検討してほしいと思う。
