皆さんはお年玉にどんなイメージを持ちますか?
お年玉の起源を調べてみると、正月に家に来る歳神様が宿るとされる鏡餅を分け与える『御歳魂(おとしだま)』という風習から始まったとありました。諸説あるようですが、最初はお餅だったんですね(笑)
子供の頃は貰って嬉しい側でしたが、大人になると渡す側になって、正直面倒だなと感じている人も多いのではないでしょうか。
たくさん貰っていたのに
私が子供の頃、父親の仕事柄年末年始にも人が多く集まっていたので、お年玉はかなり貰っていた方だと思います。
当時まだ小学校にも上がっていない子供に、5千円とか多い人は1万円とか入ったお年玉袋をくれて、そうした人達と親戚や親からのを合わせると、10万円位になる年もざらにありました。
「お金持ってたら危ないから、預かっておくね」
はい、親の常套句ですね!
お年玉がある=おもちゃが買える。
ルンルン気分で大型スーパーのおもちゃ売り場にいき、たくさん悩んで厳選して。
手に入れたおもちゃを抱える子供に親は「お年玉でいいもの買えたね」と。
この一言に親の巧妙な罠が…。(苦笑)
この瞬間、おもちゃを買った=お年玉を使った、という図式が子供の中に刻まれるのです。
差額は親の懐へ?
親が「預かって」くれていたはずの差額が返ってくることはありませんでした(苦笑)
さすがに中学生にもなれば、小さい頃同じようなことを言われてお年玉が親の懐に入ったまま返ってこない経験をした子は多く「絶対親には預けない」と、貰ったお年玉は自分で管理している子がかなり増え、使い方もパーッと散財・欲しかったものを購入・高額な欲しいもののために貯金など、個人差が出てきました。
子供にすれば親に騙し取られた気分。
あの時のお年玉は? と訊けば、おもちゃを買ったでしょとあしらわれる。
あの頃のお年玉を全て貯金しておいてくれれば…。
大人になって理解できたことも
大人になるにつれ、世の中の仕組みも理解できるようになってくる。
誰かがお年玉をくれるということは、自分の親も誰かにあげるということ。
当然余分な出費なのだから、どこかで補填は必要になる。それがお年玉の『差額の循環』だ。
家計に余裕がある家ならば、子供にと貰ったものはすべて子供の口座に入金しておくこともできただろう。実際クラスメイトの中にはそういった家庭の子もいた。
裕福な家庭の子女達が通うような私立の学校ならいざ知らず、ごく普通の公立の学校ではそんな裕福な家庭は多くはなかった。
年末年始となれば、お年玉を渡す機会が少ない家庭でも何かと物入りな時期だ。入ってくるお金があれば、補填に使ってしまっても仕方がないことだと、今なら思える。
最後に
私の伯父夫婦はお年玉をくれなかった。理由は『子供に現金を持たすべきじゃない』というもので、代わりに毎年おもちゃ屋に行って、欲しいものを買ってくれた。
お年玉として何千円かを包むより高くついたことも度々だったと思う。
それでも毎年お正月に会いに来てくれて、一緒におもちゃ屋さんに行ってくれることがうれしかったし、たくさんお年玉をくれた人たちには申し訳ないが、嬉しい思い出として残っているのは間違いなく現金でお年玉をくれなかった伯父夫婦だ。
家庭環境も考え方も千差万別。
お年玉という風習にも、決まりや正解はないのだと思う。
もらう側からあげる側になったけど、私は伯父夫婦の考え方が結果的に良かったと実感しているので、それを実践していきたいと思う。
