今日、大きな地震がありました。
能登半島の地震から二年。まだ記憶に新しく、元日の出来事としてニュースでも度々復興状況やいまだ避難生活を余儀なくされている方たちの生活状況などが流れている中、鳥取県を震源とする大きな地震がありました。
速報ニュースではまだ深刻な被害は報道されていないけど、こういったことは時間とともに増えることが多々あること。少しでも被害が少ないことを祈るばかりです。
学生時代に経験した阪神淡路大震災
私が経験した震災で最も心に深く残っているのは、学生時代に経験した阪神淡路大震災。
当日ドーンっと地面の下からの突き上げるような衝撃と音で目を覚まし、何が起きたのか理解できないうちに大きな揺れに襲われた。
地震だと理解はできたけど、あまりの揺れの大きさにただベッドの縁をつかみ揺れが収まるのを待つしかなかった。
古い戸建ての二階、隣の部屋の弟に無事かと声を掛けていると両親が私たちの無事を確かめに上がってきた。
全員無事。かなりの揺れにもかかわらず、皿一枚割れることもなく済んだ。
「かなり揺れたと思ったけど、そんなでもなかったんかな?」
そんな会話をしつつテレビを付けると、この地震での被害が映し出されていた。
最初に見たのは、どこかの車のディーラーの大きなガラス面が砕け散り、近くのビルの外壁が剝がれ落ちている映像だった。
それでもその時はまだ、やっぱり大きい地震だったんだな位にしか思っていなかった。けど時間が経つにつれどんどん被害の大きさがわかってくると、もう言葉が出なくなった。
高速道路がねじれ、切断され、前輪が浮いた状態で何とか落ちずに残ったバス。潰れた駅舎。そして燃え広がる炎。
そこにあったのは、今まで映画やテレビの中の作り物としてしか知らなかった『リアル』だった。
被害が無くても
当時大阪市内にある専門学校に通っていたので、クラスメイトの中には神戸に住んでいる人もいた。
特に親しい友人とかではなく、本当に同じクラスという以外接点もないような人だったけれど、それでも無事でいてほしいと願った。それだけ…死と切り離せない程の被害だった。
しばらく休校となり、授業が再開されて学校へ行くと、その人も無事に登校してきた。
顔を見た瞬間「あぁ、無事でよかった」と心底思ったことを今でも憶えてる。
後日その人の自宅と両親の営んでいたお店が全壊だったと、他のクラスメイト達が話しているのをきいた。
あくまでうわさ話のレベルなので真偽のほどは判らない。けど、命が助かった怪我がなくて済んだ、だからよかったね、ではないのだと思う。
生きているということは、生活を送るということ。そして生活には『衣食住』が不可欠なこと。
その基盤を失って、またそれを取り戻していくことがどれ程困難なことなのかは想像に難くない。
最後に
一度大きな災害が起きてしまえば、それはその瞬間だけで終わるものではないということ。
物理的なことだけではなく、心に残ったことも。
実際の被害は無かった私。それでもあの日のことは記憶に残っている。
風化させないとか、あの日を教訓にとか、そんなたいそうなことではなく、ただあの日まだ学生で何も出来なかったけれど、今の自分なら何ができるかを考える。
それが私の『あの日のつづき』
